虐待に取り組む市民も、カウンセラー、精神科医、弁護士も、
サバイバーも、戦争と平和について、ともに語り合いましょう!

〜〜子どもの立場からから戦争を見ると〜〜

2008年2月9日 ピース・ワークショップに寄せて 玄野武人

 

(1)「戦争は最大の子どもの虐待」

子どもが殺されることはもちろん、家族や友だちの死を目撃することも、人を殺す教育や訓練を強いられることも、成長に必要なミルク・食物・医薬品が入手できなくなることも、教育の機会が奪われることも、性虐待ももちろん、すべてが戦争における子ども虐待なのです。

だからこそ、虐待に取り組む市民も、カウンセラー、精神科医、弁護士も、サバイバーも、戦争と平和について、いっしょに集まって語りあうことが必要なのだと思います。

戦争がなくならない限り、子ども虐待はなくならないのです。

だから、虐待問題へ取り組みは、平和活動をもって完結するのです。

 

(2)戦争は、国と国の戦いではなく、「世代間暴力」です

戦争は、国と国との戦いいわれています。
しかし、その実態を子どもの立場から見たとき、大人たちが自分たちの力で解決すべき政治・外交問題を、若者や子どもたちの命を兵士というかたちで消費して解決しようとしているにすぎません。

わたしはこのような戦争における子ども・若者の利用の仕方を、「世代間暴力」と名づけることにしました。
年長世代が、よりコントロールしやすい若い世代を戦場へ送り込んでいるからです。

 

(3)「積極的平和」を目指そう!

戦争がなければ、平和といえるのでしょうか?
ノルウェーの平和学の大家ヨハン・ガルトゥング氏は、ただたんに戦争のない状態を「消極的平和」と名付けました。

それにたいし、差別・貧困・環境問題・人権侵害などを「構造的暴力」と名付け、そのような暴力がない状態を「積極的平和」と名付けました。

つまり、わたしたちが「平和に暮らしている」というとき、それは戦争がないだけでなく、差別や虐待もまたない暮らしこそ真の「平和」と言えるのです。

子どもにとって、家庭内での虐待も戦争もどちらもひとしく暴力にすぎないのです。

それゆえ、子ども虐待に取り組むわたしたちは、「虐待から戦争までを子どもへの暴力」と統一的にとらえ」、積極的平和の実現を話し合う場をつくりだすべき時代に来ているのだと思っています。

 

(4)「教育は第2の軍隊」

教育は第2の軍隊と言われます。
戦場へ行くのは18歳以上の若者ですが、その若者とて18歳になったら、突然、喜んで兵士になるわけではありません。

だから、小学生のうちから、国を守るために銃を取ることは栄誉あることだという教育がおこなわれます。

日本の子どもや若者の将来を心配しています。

日本は現在、開戦派(改憲派)の勢力が強く、そのため海外で戦争をするための施策が次々と推進され、とうとう先年には「教育基本法」も戦争を可能にする教育へと改められました。

新・教育基本法の改定の経過で、「平和のための教育」が「正義のため」に改められ、「愛国心(国を愛する心」を育てる教育という言葉が取り入れられ、「教育は、戦争を進める政治家や官僚の不当な支配に屈しない」という表現も為政者(権力者)に逆らう者を排除するという表現に変えられました。

戦争を肯定することを教える教育は、「優しい顔」をしてやって来ます。保護者や子どもの正義感をあおるような顔をしてやってきます。

「正義は戦争の最大の言い訳」「愛国心は戦争の栄養」「教育は第2の軍隊」という言葉の意味をもう一度思い出してください。正義も、愛国心も、教育を権力者が自由に支配することも、どちらも戦争に必要なアイテムになります。

わたしは、とても、心配です。(=_=)

 


 

★戦争における子ども虐待、および性虐待を禁止する国際条約を創ろう!★
 
〜〜〜第5回ピースwithアクションに寄せて〜〜〜

2004年6月10日  

戦争は最大の子どもへの虐待です。だから、戦争がなくならない限り子どもの虐待はなくならないのだと思います。

戦争や紛争において、多くの性虐待や性暴力が頻発していることも想像に難くありませんし、実際にそのような報道や報告も行われています。

性虐待はもちろん、子どもが殺されることも、家族の死を目撃することも、人を殺す訓練を強いられることも、成長に必要なミルク・食物・医薬品が入手できなくなることも、教育の機会が奪われることも、すべてが子どもの虐待に関わることだと思います。

戦争は国と国との戦いといいますが、しかし見方を変えてみれば、やはり、大人による子どもへの暴力なのだと思います。

なぜなら、子どもには戦争を始める権利もないし、戦争を中止する権利も持たされていません。
戦争が始まったとき、自力で他国に逃げることもかないません。
にもかかわらず、いったん戦争がはじまると、もっとも犠牲を強いられるのは、幼児や子ども達です。

捕虜になった兵士はジュネーブ条約で保護され、虐待してはならないことが国際法で取り決められています。
先日('04年)のアメリカ兵によるイラク捕虜への虐待は、国際的に批判されました。

しかし、それに比べ、子どもが戦場でどのように虐待されているか、その実態は十分に明らかにされているとは言い難いと思います。
もちろん、戦争において非戦闘員(市民)を殺傷してはならないことは国際的合意になっていますが、しかし子どもへの暴力については、それだけでは十分ではないとわたしは考えています。

事実、ユニセフの統計では、戦争で死んだ子どもの数は、戦争で死んだ兵士の数を上まわっているのです。

そこで、わたしは次の5つの内容の国際条約を創ることを提案をしたいと思います。

  1. 戦争や紛争における「子どもの虐待」を禁止する。
  2. 先ずは戦時における子どもの虐待の実態の調査を行う。特に、戦時における子どもへの性虐待の調査をきちんとやってほしい。わたしは戦争や紛争地域において、女の子も、男の子も子も、性虐待の被害にあっている事例をいくつか知っています。国際社会の目がもっとも届きにくい分野だけに、調査と支援が必要です。
  3. 子どもを虐待した兵士を、国際法にのとって裁判で裁く。もちろん、虐待を命じたりその事実を黙認した政治家も処罰の対象とする。
  4. 戦争を始めた各国に、亡くなったり傷ついた子ども達への謝罪と補償を、厳しく義務づける。金銭的補償だけでなく衣食住、医療、教育、世心的なケアなど広く含む。
  5. 「子どもを戦争に協力させる教育」を国際的に禁止する。たとえば特定の政治家(政党)や宗教(宗教団体)に命を捧げるようなことを「刷り込む」教育や、人を殺すための訓練など。こういう教育も虐待の一種でしょう。

付言しておけば、このような提案をする背景には、この条約を結ぶことで、国家が開戦することをより難しくするというねらいもあります。

ここに述べてきたアイデアがどの程度実現可能かどうか、わたしにはわかりません。しかし、もしこのアイデアに部分的にでも共感してくれたならば、それぞれのやり方で、このアイデアを話題にしていただけるとうれしいです。

子どものためのグループ、人権団体、国際法の専門家、弁護士、政治家、市民、サバイバー、大人や子どもを問わず、また国境を越えて、あらゆる人々の知恵が必要なんだと思います。一部分だけの実現でもよいので、この想いが社会におどくといいなと思います。

また自治体や議会で決議したり、可能なら国際的機関や国連に提案できるようにこのアイデアを文書の形にしてくれる方の力も必要だとです。

わたしはチャイルド・アビューズ(子どもの虐待)をくぐり抜けてきたサバイバーとして、戦争で犠牲になる子ども達のことに、想いを馳せないわけにはいきません。

わたしと同じようにチャイルド・アビューズや性虐待を経験してきた他のサバイバーも、援助者のみなさんも人々も、虐待の深刻さに理解を示してくれる方も、戦場や紛争地帯の子ども達のことを思えば、きっとなにかもしたいと思わずにはいられないのではないでしょうか。

日本で「児童虐待防止法」の制定に力を尽くしてくれた皆様方も、どうか戦争や紛争地帯における子ども虐待やチャイルド・セクシャル・アビューズも、同じように視野に入れてくださいますようお願いします。

「戦争」と「子どもの虐待」を、別々のものとして切り離して考えることは、もうやめましょう。
戦争だから子どもが虐待されてもしかたがないとあきらめることは、もうやめましょう。

大人の都合で始めた戦争で、より正しく言えば開戦を決めた政治家とその政治家を支持する選挙民が始めた戦争で、子どもが虐待されるいわれはないのです。

戦争を、子どもの視点・子ども虐待の視点からとらえ直す試みが、より広がりますように心から祈っています。

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

PS:サバイバー(性被害者)もまた安心して参加できる平和の祭典を生み出してゆきたいものだと思います。
歌や踊り、絵や映像、詩や文学、パフォーマンスで、サバイバーも自分たちの想いや回復への願い、非暴力への気持ちを表現できる「サバイバーズ・アート」(サバイバーによる芸術)を生み出してゆきたいものです。

KURONO taketo

 


「つながる」ことの美しさ、平和の楽しさ
〜〜ピースwithアクションに参加して〜〜
2004年6月14日

※下記は当サイトで時々発行している「IF通信」からの転載です。

今回の「IF通信」(総送信数100名)では、先週参加した歌と語りの平和のコンサートの感想をお届けします。

●先週の土曜日に、「ピースwithアクション」に参加してきました(下記)。 
  http://www.geocities.jp/empowerment9center/peace2004/2004peace_osirase.htm

当日、おいでくださった男性サバイバーとパートナーの皆様、お会いできて、ともてよかったです。
この日は、男性サバイバー3人、パートナーの方1人とご一緒することができて、うれしかったです。

それから、舞台で1分間スピーチをされた方々、とってもすてきなスピーチでした。
感動しました。

300人は入ると思われるホールはほぼ満員で、その一般の方々を前に、3人もの男性サバイバーが一緒にスピーク・アウトしたのは、まさに歴史的な瞬間だったと思います。
スピーチされた皆さんの思いは、きっとほぼ満員だったホールの人々に伝わったことでしょう。

当事者が公の場で語る言葉は、いつでも、社会を変える大きな力となると思います。
このスピーチによって、サバイバーの皆さんの回復もまたいっそう進みますようお祈りしております。

ところで、参加された皆さん、その後、体調はいかがですか?
大きなイベントに参加したり、自分のことを開示したり、新たに仲間と出会った後では、一時的に体調を崩したり、フラッシュバックが起きたりすることがあるようです。

必要でしたら、好きな音楽を聴いたり、美味しいものを食べたりして、安心と安全の感じられる環境でゆっくりセルフケアをされのがよいのではなかと思います。

わたしの経験では、このような出来事の後で、記憶や感情が蘇ってくることは、悪いことばかりではありませんでした。
このような時、一時的に不安が増したりしましたが、しかし、そのような記憶や感情もまた、回復のヒントとなる大切な「導き」でもありました。

感情を再び抑圧せずに、じっくり味わうチャンスでもあり、新たな「気づき」をもたらしてくれる好機ともなりました。

●ピースwithアクションが素敵なのは、小学生から90歳の方までが、楽しみながら、平和への思いを共有できたことにあります。
また、若者による演奏や、風刺のきいたフォルム上映も素敵でした。
コンサートの後半からは、音楽とリズムに合わせて、会場は総立ちでしたね。
3メートルあまりの背高女(せいたかおんな)のパフォーマンスは、次回もまた見たいものです。

「せんそう、ハンターイ!」と糾弾するだけでなく、暖かく、ポジティブな、希望にみちたメッセージがあふれるなかで、人々が「つながる」ことの美しさを、あらためて実感できました。

日本がどんどん戦争へと傾斜を強めているために、息苦しさや憂いが漂うようになってきた中で、このような陽気で、前向きで、未来を信じたくなるイベントが、よりたくさん開かれますよう希望します。

サバイバーとは、「カナリヤ」のようなものです。
暴力や戦争が社会に満ちてくるとき、まっさきにその気配を感知して、具合が悪くなるサバイバーは珍しくありません。
それは、ちょうど、カナリヤが危険を感じて、鳴き声をあげるようなものです。
イラク開戦当時にも、一部の教育委員会がまったく戦前と同じように卒業式で国歌・国旗を強制したときも、異を唱えたサバイバーたちがいました。やっぱり、強制はあきらかに間違っているよね。

わたしたちサバイバーは、危険が迫っているとき、あるいは暴力を受けたとき、さらには回復の過程で、気持ちを表現し、「声」を取り戻すことが、どれほど重要かを十分に知っています。
人とつながり、共感しあい、語り合うことが、非暴力への大切なスキルなのだと思います。

性暴力や性虐待を受けた男性サバイバーとして、わたしはなにより平和と非暴力を望みます。
きっと、他の男性サバイバーのみなさんも、同じように非暴力の社会の実現を希求していることでしょう。

男性サバイバーは非暴力を求めて歩みだそうとするが故に、やがては男性の新たな1モデル、非暴力を求める男性の1モデルとなれる可能性を持っていると思います。

ところで、コンサートの後でわたしは、平和を推進するためのアイデアを、あれこれ考えてみました。みなさんも考えてみませんか。

多くの人とつながり思いと共有したからには、さらに一歩進めて、非暴力と平和をつくり定着させてゆく方法、法律とか社会制度とか教育制度とか、を具体的に考えて行く必要があると思います。

(1)平和省を作る。
国防庁とか防衛庁は各国ともにあるが、平和省とか平和庁がないので、こうい機関を作りましょう。
まずはネット上に「バーチャル平和省」を作って、みんなで、どんな政策ができるかアイデアを出しあてみましょう。
もしくは、軍縮大使を、軍縮大臣に格上げするのもいいと思います。

(2)日本と朝鮮半島を、非核地帯にする。
すでに世界の陸地の50%は、非核地帯だそうです。主な非核地帯はアフリカや南米など第三世界を中心にひろがっています。皮肉にも、逆に、核の脅威にされされているのは、核保有国やその同盟国です。

(3)学校、特にすべての大学において、共通科目や一般教養に「平和学」の講義を取り入れる。
戦争と平和に関する基礎知識は絶対必要。

(4)平和議員20人を国会に送ろう。
非暴力・平和を考え推進してくれる議員を国会や地方議会に送る。平和を望む人1人が1万円の会費を出して会員となる。会員1万人で計1億円。これを選挙費用にあてる。

(5)「人類の宝」と言われている9条を、他の国にも普及するように働きかける。

(6)上にも書いたけど、戦争や紛争における「子ども虐待」を禁止する国際条約をつくる。
もちろん、すでに「子どもの人権」として子どもを戦争に巻き込まないとか、子どもを含む市民を戦争で殺傷しないとかの国際法はある。しかし、ちょうど日本国内においても刑法などがあるにも関わらず、子ども虐待に特化した「児童虐待防止法」が制定されたことで対策が急に進んだように、国際社会でも、こうい子ども虐待に特化した条約が欲しい。

(7)そして、最後に、「選挙」にゆく。
選挙こそ、もっとも手軽な非暴力活動。
開戦を決めるのは政治家なのだから、良い政治家を選ぶことが、平和と非暴力へもっとも近い道。
ちゃんと探せば、希望を持てる政治家がいます。

★    ☆    ★    ☆    ★ 

前にも書いたけど、戦争は最大の子ども虐待。
虐待問題への取り組みは、平和活動をもって完結するんだと思う。
戦争で虐待される子どもと、日本で虐待される子どもになんの差があろうか。

 

 

 

 

 

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